共生社会、包摂社会、ダイバーシティと言われて久しいですね。
性的少数者、LGBTQ+のみさなんの権利擁護の主張も珍しくなくなりました。
そして、ひきこもり当事者から「ひきこもる生き方も認めてほしい」という意見がよく聞かれるようになりました。

いろいろな違いをお互いに認め、尊重し合える社会がいいということは、今は常識となりましたが、「ひきこもる生き方を認めること」についてはどうでしょうか。

少し歯切れの悪さを感じる人が多いと思います。

ひきこもる生き方を尊重すると、ずっとひきこもり状態が続き、親亡き後は生活保護にお世話になるかも知れない、社会の負担となるとすれば、なんだか違う気もする。。家族としては、こどもがひきこもり状態から回復してほしい。ひきこもる生き方を認めたところで、こどもは辛そうだし、家族としても不安が続くことに。。

令和7年に厚労省から発表されたひきこもり支援の指針「ひきこもり支援ハンドブック」によると、ひきこもりの方が自分で自分の在り方、生き方を選択できるようにすることが、ひきこもりの方への支援の指針だとあります。

こどもが「ひきこもる生き方」を選択するのであれば、このままの状態がずっと続くことにならないか、家族としてはモヤモヤすっきりしませんよね。

私たちは、こどもが「ひきこもる生き方」を選択するのであれば、それはそれでよいと考えます。

ひきこもりの方には、死なないために、命を繋ぐために、ひきこもりを選択した方がいます。自分を傷つける社会から距離をとるためにひきこもりになった方がいます。仕方なくひきこもりとなった方がいます。こういう背景を考慮せず、家族や社会が「ひきこもる生き方を認めません」となれば、かれらは生きる場を失うことになります。

まずは生きていることが大切なので、このポイントでは「ひきこもる生き方」を最大限に認めてあげてもよいですよね。

本人がひきこもりを選び続ける限り、最大限に尊重してあげること。

ただ、ずっとこのままということでもないでしょう。

人は成長します。変化します。家族がこどもに適切に関わることができれば、こどもの成長、変化が期待できます。時間はかかりますが、こどもが前向きになったとき、そばにいる家族が「つぎの一歩」の選択肢を用意できれば、こどもは安心して次の一歩に踏み出すことができるでしょう。

家族として、「適切に関わる」ことができるのだろうか、家族は専門家ではないし、自信がない。。そういった不安もあるでしょう。繰り返しになりますが、人は成長します。家族も成長します。家族の成長の場が、家族会ということになるのですね。

こどもと家族が人生の可能性を見いだすために、可能性を広げるために、家族がこどもと適切につながり続け、関わり続けるために、家族にとっての成長の場をみんなで作っていくことが大切ですね。